私は「良い人」でいないといけなかった。でも、本当はもっと「ワル」なんだと思う。

100記事目のブログで、
自分の中に2人の自分がいることに気づいた、
というようなことをもにょもにょと書きました。

今日は立花B塾の第2講。
約1ヶ月ぶりにお会いしたたちさんに、

“やっぱり以前と雰囲気が違うよ。
とってぃはいままで良い人を演じてきたけど、
本当はもっと“ワル”な部分があって、
そのパワーが表に出てきたように見える。”

そんな主旨のことをコメントしてもらいました。

その言葉を聞いた瞬間、
正直なところ「図星だな」と思った私。

……実は、同じようなことを思うことがある。

自分の中の「はっちゃけてる私」が、
常識(?)的ではないぶっとんだことを考えている。
そんな体感覚になることもある。

ぶっとんだことをもし行動に移すとするなら、
多分それは「ワル」な感じが前面に出ていて、
「真面目な私」はそれに耐えられないし、
「良い子」の側面をぶっ潰してしまうと思う。
だから、理性でかなり押し込めることになる。

むくむくむく……と出てくる私を、
同じ私、だけど違う私が、
グリグリグリと抑圧している体感覚。

もし、その「ワル」な部分に素直になったら、
私の周りにいる人、
特に家族、
もっと言うと両親が、
私のことをきっと否定するだろう…
「そんな子に育てた覚えはない!」と言うだろう…

自分という存在を親から否定される恐怖は、
今の私にとってはまだ絶大な威力があって、
そうならないためのセーフティーネットとして
「真面目で誠実で良い子な」私が機能している。

そんな構図が、私の中にはある。

でも、今日、改めて言葉として
「ワル」な部分があると聞いてしまって、
少しずつ勢力図が変わりつつあるのかもしれない…
そんなことを考えてしまった。

そして、そうなることはむしろ
「歓迎されること」として受け取られているように思えて、
「はっちゃけてる私」はニヤニヤしながら、
これからもっと前にでてやろうと企んでいる気がしてきた。
一方で「真面目な私」は困り顔。

今の私にできることは、
そういう変化をしちゃってもいいし、
別にしなくてもいいよ、と自分に言い聞かせること。
ジャッジをせずにありのままを受け止めること。

「真面目な私」と「はっちゃけてる私」
どちらも私であって、
どちらかだけでもきっと成立しない。

だからこそ、自分のことを、
もっと面白がって見てみたいな、と思います。