楽なことほどすぐに「当たり前」なるから、私はそれに気づいて「感謝」したい。

苦労せず簡単に手に入るものほど
面白いくらいに早く「当たり前」側に
なってしまいやすいんだなあ…。
いかに人間は元々ナマケモノであるか。

的なことを最近考えている。

ところで、今日は雨模様です。

ほとんどの人が傘を差すか、
カッパを着るか、
何かしら対策をしていると思います。

でも、それは、濡れることが
困るとか、嫌だとか、めんどくさいとか、
そういう考えをイコールでくっつけるから
濡れないように、と行動する。

究極なのは、電車に、車に、乗る。
乗ったら濡れないから、楽なわけです。

でも、
電車も、車も、
元々そんなものはなかったわけで、
原始人?の方々は、
普通に濡れていただろうし、
濡れたくなかったら木の下にいるか、
洞穴があればそこで雨を凌いだはず。

現代では、電車も、車も、
やっぱり「当たり前」のようにあって、
それを使えること自体も
やっぱり「当たり前」に思えてしまって、

それが使えないとなると、
「楽じゃない」「苦しい」
という感情が湧いてきてしまいがち。

でも、そもそもどーなのよ?

という疑問を投げかけてみると、
いかに自分が
「当たり前」側に立っているか、
そんなことに気づくことができます。

そう思うと、
楽に思えることほど、
すぐにできることほど感じてしまう
「当たり前」の反対側の、
「感謝」をいつまでも感じていたいし、
そこに気づける自分であり続けたい。

と、終わりたいところですが、
実は終わらない。

あくまでもこれは
自分という枠の中で考えたことだよね、
という気がしている。

で、
この世界には人がたくさんいるわけで、
自分以外の人がどう感じるか考えてみる。

雨が降ることを楽しみに思う人、
雨が降ってくれてありがたいと思う人、
そんな人ももちろんいる。

雨が降ってる今日が「ある」と思うか、
今日は晴れている日じゃ「ない」と思うか、
同じ人間だけど、そう思う感じ方は人それぞれ。

人それぞれだからこそ、
私が感じていることも、
誰かが感じていることも、

全部いいのだ。OKなのだ。

と思うと、
なんだか、少し自分が拡がったような、
自分の思考の枠から
ちょっと出れたんじゃないかな?
って気持ちになれるし、

自分が感じたことも受け入れられる、
思っても大丈夫なんだ、
そんな気分になれる。
それが、自己受容なのかもしれない。

ちょっと話が逸れたような気もするけど、
とりとめもなく書いている気もするけど、
そんな日もある。

というわけで、今日は
傘をさしてテクテク歩きました。
帰りも歩こう。