全然違うことを相談したのに、コアビリーフ「私は母の再生産だ」があると自覚したカウセリングセッション。

こんにちは。とってぃです。

仕事を辞めてから早2ヶ月が経とうとしています。びっくりです。
一緒に住んでいるパートナーも7月下旬に仕事を辞めたので、今は毎日2人、家で生活をしています。

一緒にいる時間が多いこともあり、どうしても私は彼がどう過ごしているのかが気になってしまっていました。

私は今、デザインのお仕事をいただけているというありがたい現状があるのですが、彼はそういったものがない。
今後、どうやって収入を得ていくんだろう、と気になりながらも彼の様子を見ると、どうしても私の目には「進展しそうなことをやっていない」風に見えてきてしまったんですよね。
彼の手にはいつもスマホがあって、動画を見てるんだな~と思っていました。

でも、色々とガミガミ言ったり、私が感情に任せて「こうした方がいいんじゃないか」と言いたくないなと思っていたので、自分の気持ちをどうしたらいいかわからなくなって苦しい状態に陥りました。

心の学びをしているおかげで「相手を責めたところで何も解決しないし、これは相手ではなくて自分の問題である」というところはわかっているものの、自分とどう向き合えばいいのか、何をして、何を考えたら、解決のために視座を上げることができるのかが見つけられずにいました。

こんな時に、ついつい頼ってしまうのは心理カウンセラーをされている、みうら雪絵(@Bell_Chi)さん(以下、雪絵さん)。

昨年の10月から継続的にカウンセリングセッションをお願いしていて、私の色々な気持ちをずっと聞いてきてくださっている方です。

雪絵さんに相談内容とともにメッセンジャーで連絡したところ「対面のセッションだと来月以降になってしまうけれど、Zoomでのオンラインセッションだったら出来るよ、やってみる?」と、雪絵さんご自身が色々と大変な状況にも関わらずありがたい提案をいただき、私は苦しさから解放されたい一心でセッションをお願いしたのでした。

「その行動、同じパターンを繰り返してない?」と言われる

まず、前述の相談内容を話します。

私は苦しい気持ちをずっと自分の中に抱え込んでいることが難しくて、noteに書き散らしました。そして、彼本人にそのURLをAirPlay(iPhoneの機能)を使って送ってしまったことも付け加えました。

「苦しくて、そんなことやってしまったんですよね」と話すと、「そのパターンって繰り返してない?」と。

「うーー…。」よく考えると、ある。

一番古い記憶ではっきりと覚えているのは、中学校卒業前に友人に送ったメールがそれにあたります。

彼女とは別の高校に進学することになっていたこともあり、会って話すという手段を取らずして彼女に思っていることをメールで伝えました。
内容としては「もう私は貴方の趣味(ボーイスラブ)には付き合わない。中学ではそのことに時間を割いて辛かったけど、貴方と別れる高校ではもっともっと勉強して上を目指す。」という宣言というか決別というか、そんなような内容でした。

雪絵さんから「色々な気持ちの伝え方はあるけれど、なんでそういう風にしようと思ったの?」と質問されます。

自分としては、面と向かって話すと、内容がごちゃごちゃとしてまとまらなくなり、相手に「何を言っているのかわからない」状態になりたくない。
感情的になって、冷静なときだったら言わないようなことも言いかねない。そういう状態が嫌だったんです、と。

何気なく言った言葉を、雪絵さんは見逃さなかった

「感情的になると母と同じだって思って嫌なんですよね。そういうことをしている自分は母の再生産になってしまうと思って、」という何気なく発した私の言葉を雪絵さんはすかさず拾いました。

「……”再生産”?とってぃ、それ、立派なコアビリーフ(否定的な自己定義)だよ。」

自分の中では、ずっと自覚していた言葉だったので、改めて指摘されるのは不思議というくらいの感覚でいました。

でも、自分の声ではない、雪絵さんから「私は母の再生産だ」という言葉を聞くと、胸がグッと苦しくなって涙が出てきました。

少し話が逸れますが、今の私は、パートナーと同居はしていても法律婚をすることを望んでいません。もっと言うと今の私の状態で妊娠・出産は絶対にしたくないと思っています。

この2年ほどたくさんの時間とお金を費やしてきて、自分の生きづらさや自己否定をクリアにしようとしています。
両親・家族との関係の中でつくられてしまった生き辛さの元となるビリーフが自分の中で心理的に決着・完了していなければ、自分が子どもを産んだとしてもその子に自分の持つビリーフを継承してしまい、私と同じような大変な思いをさせてしまうのではないか、そんな気持ちが存在していました。

そのことを考えると、自分の中では「私は母の再生産にはなりたくない」と思いながらも、結婚・出産をしたいと思えていない今の私は「私は母の再生産だ」と思っていることに……ようやくはっきりと自覚します。

「それって、すごい他人軸の生き方だよね。物事を決める際に”母はこうだから、自分はこうする”と決めているわけだよね。」と雪絵さん。

自分ではそんなつもりは全くなかったのですが、確かにそう言われると他人軸なんだ、と思いました。

ビリーフの凄いところ・怖いところは、そういう行動をごく自然に、そして当たり前だと思ってやってしまうこと。

「母の再生産になりたくない!」と思って自分は今までがむしゃらに頑張っていたわけなのですが、それがまさか「他人軸の生き方をしている」だなんて思いもせず……。

しかも「母の再生産だ」ということを否定するためにやっていることが上手くいかないと、その上手くいっていない状況も自分で否定してしまう…という二重苦の状態を自ら作り出して、どんどん自分軸からは遠ざかっている状態になっているよね、と指摘されます。

図星というか、おっしゃる通り過ぎて。
「あー……そうですねー………」力無いそんな返事しかできない私がいました。

ビリーフがわかれば「ビリーフリセット」に進める

ビリーフリセットは、私もとてもお世話になっている大塚あやこさんが作り出した手法です。これに従って、このビリーフをとことん見ていきます。

まず、このビリーフのデメリットとメリットをそれぞれ挙げてみます。

デメリット

  • 生き辛い
  • 自分の行動に制限がかかってしまう
  • ずっと頑張り続けなければならない
  • できなければダメな自分とジャッジして二重に苦しい
  • 父と本音でうまく接することができない(両親が不仲という状況下で、私が「母の再生産だ」と認識しているのであれば、私も父と不仲な関係にならないとこのビリーフに反するから)
  • セクシャルな部分に積極的になれない

デメリットは考えれば考えるほど挙がります。それだけ顕在意識側で自覚できている部分が多いんですよね。

で、問題なのはメリットを挙げるところ。なかなか見つかりません。絞り出して、3つ出しました。

メリット

  • 堅実さを持てた
  • 変なものに手を出さないようになれた
  • 安心安全+リスク回避を追求できる

「他には?」という質問にしばらく黙ってしまっていた私に、雪絵さんが「私も言ってみてもいいかな?」と助けの手が。

そうすることで親に愛された、大切にされた(というメリットがない?)」と。

その言葉の意味はわかりました。ああ、確かにそうだと。

でも表現として、愛された・大切にされたというよりも「批判されずに・怒られずに済んだ」という方がしっくりくると伝えました。

今までのセッションでもそうだったのですが、雪絵さんは「私(クライアント)にとってしっくりくる言葉かどうか」を常に大切にしていて、「もし途中で”こっちの方がいい”と思う言葉があったら遠慮なく言ってね」と声かけしてくださるのでした。

自慢になってしまうかもわかりませんが、私は進学塾には一切通わずに学生生活を終えています。

両親が40歳を超えてからの子どもだったこともあり、経済的な負担を増やすという選択肢は自分にはとるべきではないと思っていたし、それをやってこそ自分は「ようやく認められる」くらいに思っていたところがありました。

だから、色々なことが「できた」としても、それは「ようやく当たり前のレベルに到達した」という感覚になるので、とても「すごいこと」だとは思えなかったし、「たまたま」とか「運が良かった、次はこうもいかない」なんて考えが過ぎることもありました(こういう考えになることを「インポスター症候群」とも言うようです)

真価を発揮する「ビリーフの置き換え」で、アハ体験に近い感覚を覚える

「私は母の再生産だ」
…このビリーフを置き換え、その文に対して理由を見つけていくのですが、この行為がものすごい発見をもたらします。

「母は私と似通っている(母は私の再生産だ)」と置き換えをして、その理由を見つけたところまでは特になにも気づきがなかったのですが、その次の置き換えでハッとしました。

私の”考え”は母の再生産だ」と置き換えたときは、何と言うか「ああ、そうか」とスーッとこのビリーフの影響力が自分の中から減っていくような感覚を覚えました。

自分が「母の再生産になりたくない」、でもうまくいかないと「再生産になってしまう」と恐れていたのは今に始まったことではなく、「再生産」という単語を大学の講義で見たときから思っていたことでした。もう10年は自覚していたのです。

ただ、私にとってはとても存在が大きく、なかなか自分の力だけでは手に負えないような感覚がありました。動物に例えるのであれば虎のよう。
セッションで「私の”考え”は」と、ただ「考え」と入れるだけといえばそうなのですが、自分にとってはその虎が猫になってしまうくらいには大きな変化を感じていました。

そして、最後。
「私は母の再生産であっても再生産でなくてもどちらでもいい」と置き換えます。

なぜなら…
「私も母も今、この世に同時に存在していて、別々の人生を辿っていて違う景色を見ているから。」
魂という観点で見れば、完全に別々の存在であって、重なり合うことはないから。」と自分の中から言葉が出てきました。

そう、そうなんだよね…と話しながら、思いました。
重なることはない。魂だけになれば、そこにはふたつの魂が存在しているだけ。うまく言えませんが、そうであればあんまり気にすることもないなあと。

雪絵さんからは「この回答が出てきてびっくりした」とコメントがありました。

この考えがなければ自分は「透明な存在」になれそうだと思った

目を閉じるように促されたあとに「このビリーフがなければとってぃはどうなりそう?」と聞かれます。

うーーん…と、ビリーフがない自分を感じるために私は黙りました。
その後、次にあげるような感覚になれそうと答えました。

  • より本質的に物事を見られる
  • 自分を肯定できるし、ジャッジしなくて済む
  • 相手の成功と欠点を受け入れられる
  • 楽で、頑張り続けなくてもいい
  • 心からゆっくりすることができる

「この自分に名前をつけるとするなら?」という質問に、私は「透明、スケルトンな私」と名付けました。

ここで、ようやく今回の相談内容に戻っていきます。

そんな「透明な自分」で彼のことを見るなら「自分のこの考えはたくさんあるうちの一部であるし、他にも別にできることがあるかもしれない」と思えてきました。

正直、自分自身とても不思議な感覚があるのですが、彼がどのような状態(ステートも含んで)であっても、私は彼から「離れよう」「一緒にいるのはもう嫌だ」と幻滅・失望する感覚がまるで起きないのです。

今までの経験からすると、興ざめしたり幻滅したりして「早く一人暮らしがしたい」と相手への気持ちがなくなってしまうのですが、彼へはそういうことが一切起きない。

そのことを雪絵さんに伝えると「とってぃ、それは愛だよ、愛は矛盾を含んでいるんだよ」と返事をされて「え、あ、これがそうなの…?」と拍子抜けしてしまいました。

自分にとっては「今までにないパターン」で不思議だなあと思っていただけなので尚更。はっきりと自覚するには、もうちょっと時間がかかるのかもしれませんが、たしかにこれが「愛」なのかもしれません。

ということで、すっきりする私

雪絵さんに「今まで自分を変えていきたいと強く願って行動しつづけてきたからこその、今日のセッションだっと思うよ」と言ってくださったのですが、長い間セッションで色々お世話になりっぱなしな私は、こうやって色々と聞いてくださることに感謝するばかりでした。

ビリーフリセットの威力は凄いなあ、改めてそう思わされるセッションでした。

彼とはその夜、寝る前に結果的に2時間くらい話ができて、このセッションのことやこれからのことを話すことができました。

「母の再生産だ」と思うことが単に私の考えでしかないと思うと、自分でもなんとかできそうだなと思えます。
自分は母を基準にしないでこれから物事を決めていくことができれば、もっと自分は本来の力を取り戻せそうな気がしています。

みうら雪絵さんのブログはこちらから

和の森

Nature Heart な森のマザーツリー