6月最後の平日。職業を手放して、私はどこへ行こうか。

今日は地下鉄を1周半くらいするつもりでいる。
ささやかながら、やってみたかったこと。

たくさんの人が降り、そして乗ってくる。
どこへ向かうのか。どこへ帰るのか。

私はどこへ行くのか。

私は、今日は職場へ。
この職場へ行くことは、今後もうないと思う。

建物はとても好きだ。ここで働くという経験は希望していてもそう出来ない経験だし、個人的に誇りに思う。
でも、この組織で、私はここに居る意味があるのかないのかわからない、そんな気持ちを抱えて、お給料を貰い続けて繰り返しの毎日を過ごす…そんな生活からは離れようと思って、今日に至る。

私はどこへ行こうか。

まだ細かいところは決まっていない。決めるまで組織に居続けるという方法もあったかもしれない。今までの私なら、そうやるだろうと思う。安定という二文字を自ら手放してまで、この行動には出なかったと思う。

だけど、何かが違う。
それでいいのか、ともうひとりの私に言われる。兄から言われた言葉が頭をリフレインする。

「やりたいことがあったら、30歳までならどうとでも軌道修正できる」

大学へ行き、院浪人にして別の大学の大学院も行き、就職して、半年で辞めて、バイトをして、全く違う分野で就職して、転職して…を経験した兄の言葉は私にとってとても大きかった。

別に30歳を超えてもなんとかなると思う。でも兄がどういう気持ちで私にこう言ってくれたのか、それを考えると、私はいまここで行動に移したかった。

この2年近く、出来るだけ「自分のため」ということを大切に生きてきた。その中で起こる出来事は、結構、というより大分斜め上の方向から降ってきたように思う。

それでもなんとかなっている。なんとかなっている、という体験とその体感覚が自分の中で確かにある。

上手くいかなきゃアルバイトしてもいい、くらいの覚悟で、そう思っておきながら、どこか震えている自分もいる。
誰かに頼ることを恐れる気持ちも持ちつつ、でも頼ってみたいとも思っている自分もいる。

色々な自分がいる中で、なんとかなっている経験が私を支えてくれている気がする。

私はどこへ導かれるのか。

わからない。人生で何が起こるかなんて本当に全然想像できない。
私が手離そうとしているものを「安定」だと今は捉えていても、時とともにそれが変化していくことだって、突然音を立てて崩れることだってある。

そもそも、私は明日も生きているのかもわからない。でも、明日だって生きていたい。やりたいことがまだたくさんある。今死んでしまったら後悔する、それだけはわかる。

波を描くように良いときも悪いときもあるだろうけど、きっと私は私を生きる方向に進んでいく。そのためにできることをする。

6月11日から今まで、有給消化期間だった。手放したようで手放していない日々。精神的にダラダラすることは結果的にできなかった。
このよくわからない、おそらく必要でない罪悪感「何もしていない自分はダメだ」、そんな考えも出来ることなら早めに手放したい。

7月に入ったら、晴れて何者でもない私になる。そうなったとき、私の中で渦巻いているエネルギーが変わってくるのかもしれない。
今日は、そのために必要なひとつの儀式みたいなものであって、現実に存在する「もの」を返して手放しにいく。

その「もの」に映った自分の顔は、今のそれとは大分違うんだな、と思った。
そんな私を見つめる毎日ともお別れ。過去の私、ここまで連れてきてくれて、ありがとう。