自分の手に、もっと自由を。

5月2日から4日の夜まで、彼は東京と彼の地元へ出かける。私はカレンダー通りの勤務で、昨日2日は仕事、今日からはお休み。

今まで、私が泊まりの外出、彼がこの家にいるという構図ばかりが続いていたのだけど、今回、彼が名古屋に引っ越してきてから初めてその構図が逆転。
去年の8月中旬以降、彼と寝食を共にしてきたこの部屋で久々にひとりで寝ることになった。

昨日は私の出勤時間が彼の出発時間よりも早く、私が見送られる立場になっていて、「うー」だの「寂しいー」だの言いながら私が部屋を出ていった。
ひとりこの部屋に居ても寂しいだろうし、やりたいことのひとつだった映画「グレイテスト・ショーマン」を見に行くことにした。映画の前は、しばらく食べていない大好きなSUBWAYで腹ごしらえするつもりでいた。

仕事が終わって、名古屋駅のミッドランドスクエアシネマ2に向かってチケットを買う。近くの地下街・ユニモールにSUBWAYがあることは調べて確認済み。
すぐに向かおうと建物を出ようとしたとき、パッと目に飛び込んできたのは担々麺の広告。あの赤い色を見たとき、以前食べた担々麺の八角の香りが思い浮かんだ。でも、そのまま通り過ぎて、SUBWAYへ向かった。

適当に入ったユニモールの入り口、幸い直ぐにSUBWAYが見つかって、メニューを見る。

……なんか、これじゃない。
SUBWAYの気分じゃない。
今ここで食べることは私にとって違和感。

ただ「なんとなく」違うかも、という感覚に襲われた。そしてすぐにさっき見た担々麺が強烈にフラッシュバックして、私はユニモールの案内板を確認しに行った。
そうしたら、少し歩いたところに昔食べた担々麺のお店があった。ラッキー、私は心の中でそう唱えた。

いままでだったら、私はこんな「急遽」予定変更ということはしてこなかったように思う。状況的に変更せざるを得ない場合以外は「予定通り」の行動を自分に求めていた。

それなのに、何故出来るようになったのか……

そう自分に疑問を投げかけると、返ってきたのは「彼が自由だから(私も同じようにしてもいいと思えるようになった)」だった。

彼は、私にとって自由の象徴。

以前、とある内容でみうら雪絵さんにセッションをお願いしたとき、雪絵さんが感じて言ってくださった「彼はとってぃ(私)に自由を見せてくれている気がする」という言葉。それが日々の生活の中で、時折思い出される。

カレーを食べに行くことになっていたのに、途中で「カレーの気分じゃなくなった、ラーメンが食べたい」と言われたり、さっきまで普通の感じだったのに(細かく言うと健全度が普通)、ほんのふとしたきっかけで放っている雰囲気が重たくなったり(健全度が下がった)……

そのどれも、いままでの私にとっては「ありえない」ことだった。

「一旦決めたのに安易に変えてはいけない」だとか「自分の都合で簡単に不機嫌になってしまったら、誰かに迷惑がかかる」だとか、まあ、とにかく「当たり前」化していた自分のルールで自分をがんじがらめにしていた。

でも、私の目に映る彼の行動は「そもそもルールなんてなくね?」「誰のための、誰が決めたルール?」と問いかけてくるようだった。
彼は日々の生活の中で、特段意識しているわけではないと思う。それでも、私はそんな姿を見ることで自分自身に対して「自由気ままでいること」に少しずつ許可を出せるようになったと思う。

担々麺を食べ終えて「ああ、今日は担々麺でよかった。SUBWAYはまた次の機会に食べよう。」そう思った。昔だったらそのままSUBWAYを食べながら、頭の中は担々麺でいっぱいに埋め尽くされていたかも、なんて思った。

今、こうやって、彼の居ない部屋でひとりでいるとわかる。正直、昨日の朝に言っていた「寂しさ」は大して感じていない自分がいる。
その代わりに強く感じたのは、彼からは「自由」のパワーを貰っていたんだなということ。アメリカには自由の女神像があるけれど、私にはこんなにもすぐ近くに自由を象徴する存在を感じていたんだな、と。

私達の関係は、きっとそんな感じで、お互いがお互いに影響を与えているのだと思う。私は私で、きっと、彼に何らかの影響を与えているのだろう。
それが何かはなんとなく予想はつくし、本当の答えは彼の中にあるのだろうけど、「何か」があることは私も確かに感じている。

そんなことを感じた、ひとりの朝。

自分の手に、もっと自由を。