どこか私は生き急いでしまう気がする。

地下鉄の改札を通り、あと1分で乗ろうとしていた方面の電車が来ること知ると、走って急いででも乗ろうとしてしまう。

そうやって効率を求めた先に何が待っているんだろう。

確かに効率よく物事を進めていく方がいいことが多いのかもしれない。でも、急がなくて良いときまで、どこか、何かに突き動かされるように生き急いでいないだろうか。

地下鉄の改札を通る少し前、よく使う出口で小さな男の子と、そのお母さんがいた。

よく見てみると、その男の子は地下鉄の出口の地面に転がっている小さな石ころに興味津々の様子。お母さんの手には、その男の子の名前がひらがなで書かれてるバッグ。
男の子はお母さんの(行くよ)という誘導に目もくれず、その石ころに手を伸ばしていた。

私の本質は、
……人間の本質は、
こういうものだったんじゃないか。

そんな事をふと思って、笑みが溢れた。

昨日は、職場の歓送迎会。部長が挨拶でこんなことを言っていた。

「どうせやるなら、仕事は楽しくやりましょう」

本当にそうだ。
それは私も同意したい。

個人的に少し怖いという印象があった部長だったけれど、歓送迎会の前には異動してきて間もない私にも気さくに話しかけてくれた。

「といっても、大変なときもありますけどね」
「でも、そんな時でも笑っていきましょう」

本来は、もっと楽しんでいいし、もっと熱中してもいいのだと思う。仕事とは、そういうものであっていいと思う。石ころに夢中な男の子のように。

時間の概念は、
もっと歪んでもいいように思った。

好きなことをやっている時間は、
あっと言う間に過ぎる。

落ち着いてゆったりしている時間は、
緩やかに、優雅に過ぎる。

効率や成果だけを求めて、血眼になってまで、頑張らなくてもいい。でも、頑張ってもいい。

究極的にはどちらでもいいのだけれど、今まで、逆の方向を向きすぎていたから、今の私は頑張らない方向を意識していたい。

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