年度末最終日。たくさんの人から「ありがとう」を貰う。この4年間のことを、ただひたすら書いて日の目に晒す。

新人として今の職場に配属されて4年が経った。
よくある、終わってしまえば「長いようで短かった」そんな日々。

いままで28年間の人生で色々あったけれど、
この4年間でたくさんのことが大きく動いたように思う。

当時の感覚を思い出して、
特に言えていなかった部分を敢えて書いてみます。

1年目。とにかく精一杯だった。

右も左も全くわからないような状態のまま配属されて、ほぼOJT。
(私の落ち度ではなく)いきなりお客さんに怒鳴られることも多く、
それを当時の自分は「自分の領域」だと背負いこんでしまっていた。
独り立ちする前の週末には、不安がいっぱいすぎてご飯が食べられず、
本当に部屋のすみっこで膝を抱えてブルフルしていたこともあった。

頑張っているのに、感謝されない。

それどころか、怒られたり、けなされたり、非難されたり、不満を延々と言われる…
頑張れば頑張るほど、感謝されなくなる。

業務の内容的にそうなってしまうのは致し方ない…そうわかっていても、辛かった。
残念ながら、多くはないけれど個人的な攻撃に走る方も中にはいて、
「お前の態度が気にくわない」とか「おいブス」とか言われることもしばしば。

(…書いていて気持ちが滅入りますね。)

毎朝、家で支度が終わって、地下鉄に乗るまで時間を作っていたのだけど、
今思えば、全然落ち着いていられなかった。
家を出るまでの時間が、何かが終わるカウントダウンのようにも感じた。
とにかく怖いという思いが先行していて、まともな思考ができていなかったように思う。
地下鉄のホームに降りる階段から感じる、自分の足の感覚がふわふわしていて、
私は本当に生きているのだろうかと思うこともあった。

感じないようにしていた寂しさ。

ブライベートでは、大学生の頃からお付き合いしていた先輩がいた。
彼も同じタイミングで社会人になったこともあり、相手も自分も大変な状況。
休みもなかなか合わず、FaceTimeで会話するのがメイン。
会ったら確かに落ち着くけれど、何か物足りない。癒されない。
そんな感覚を覚えてしまって、私は別の人を好きになってしまった。

今思えば、寂しかったんだ、とわかる。
でもそれを素直に感じることもできていなかった。
何年も経って、ああ、あの時は本当はそうだったんだね、という感じ。

その後、その好きになった人と付き合った。
付き合うまでの期間は「久々に私は恋をしているのだ」と感じて、
いままでのギャップで尚更魅力的に感じていた自分がいた。
盲目状態だったかもしれない。

けれど、付き合ってから、何かが違うと思った。
自然体でいられない自分。
どこか緊張している自分。
部活の先輩に対して見せていた自分をこの人に見せたら、嫌われる。批判、非難される。
そんな恐れをどこか感じていた。

そんな「思考を反映する」かのように起きた出来事。

自分が大切に思っていた大学時代の部活、そのメンバーに対する痛烈な批判。
「なんでそんな人達と関わるのか」
「(元彼のいる)部活のOB会に行くなんて考えらない」
部活メンバーとの関わりについて全面的な禁止を強いられた。

当時の私の心の支えを、好きだと思っていた人に、根元から折られたような感覚を覚えた。
すべてがガラガラと崩れていくような、ものすごい喪失感だった。
付き合っていた人が、悪魔のように見えた。

……数年経った今だからわかるけれど、
相手は、部活のメンバーと私が関わりを持ち続けると、
自分から私が離れてしまうのではないかと思っていたんじゃないか、って。

だからこその、束縛。制限。
自分の傍にいなければダメになるぞという脅迫。

相手自身に、大きな大きな恐れがあったんじゃないか、って。
そう今なら解釈できる。
でも、あの批判された瞬間の、頭をぶん殴られたような痛みはまだ忘れられていない。

そんな中、相手がどう思って許可したのか今でもよくわからないけれど、
大学時代の先輩と二人で会う機会があった。
本音を漏らすことができる機会であったにも関わらず、戻りたいと言えなかった。

その時の話。

耐えられなくなった身体が叫び始める。

私の体調が悪くなっていったのは、このあたりからだと思う。
記憶はもはや曖昧になっている。ちゃんと思い出したくないのかもしれない。

特に仕事中、体がフラッシュを炊いたかのように発熱する。
それが何回も起きて、汗をかく。

付き合っていた人もかなり心配してくれていたけれど、今振り返って思うのは、
それが起こっていた原因の半分くらいはその人に対する自分の恐怖だったのだと思う。

自分の本当の気持ちとは全く逆の方向に進んでしまう。

付き合い始めてからは、相手の借りていた1Kの部屋に一緒に住んでいるというような状況で、
私は自分の部屋に帰ることは月に2~3回。
2部屋分の家賃がもったいないねという話になり、別の広い部屋に住もうという流れになった。

本当は嫌で嫌で仕方なかった。
もう好きなんかじゃなかった。ただただ、怖かった。
さっさと関係を解消して、自分の部屋に戻って生活をしたかった。
あわよくば、大学の先輩との関係を復活させたいとまで思っていた。

でも。
そう、すぐに「でも」がくる。

「最初の頃に感じた安心感が本物で、今はそれが見えていないだけ」
「この難しい関係を乗り越えたら、素敵な関係になれる」

今思うと笑ってしまいそうになるけれど、そんな「思考」の言うことに従い続けてしまった。
自ら物件を探し、保証人になってほしいがために、
まともに親に付き合っている人の話をしたことのない自分がいきなり「同棲する」と告げていた。

追い打ちをかけるような親からの批判。

2015年、新年を迎えた。
同棲の挨拶をするために相手と一緒に実家に帰ることになっていた。
早めに支度をして、相手の車に乗って実家に帰る予定だったにも関わらず、
相手からセックスを求められて、断れなかった。
間違いなく身体は拒否していた。
全くなにも感じない。気持ち悪い。感じなくても頑張らなければいけなかった。

結局、その時間分、すべてのスケジュールが遅れた。
高速道路の渋滞もあって、親に告げていた時間から2時間近く遅れて到着した。

挨拶も、相手も私もちゃんと「同棲させてください」と明言することもなく、
自己紹介と仕事のこと、世間話をして終わってしまった。

相手が先に帰って、私はそのまま実家に残る。
私が相手を見送って、家に戻ってくるなり始まった、母親の批判。

遅れたことを咎められたけれど、真実を話せるはずがなかった。
適当に理由をつけてごまかしてその場をなんとか凌いだものの、
その後も「声が小さい」「兄のように気が小さい」「肝心なことが言えない」
「太っている」「かっこよくない」「本当にあんな人でいいのか」等々。
いいと思われていたのは「長男でないこと」くらい。
「兄のように」って、自分の子供までも批判しているのに呆然としてしまった。

私は、いままで母親に「迷惑をかけないように」「とにかくいい子」「成績優秀」を演じてきて、
実際それを必死で、現実のものにしてきて、頑張ってきたのに……
確かに私も戻れないところまで自分で自分を追い込めているけれども、
それでも一度は好きになった人をここまで批判されて、どうしたらいいかわからなくなった。

こうなったら、と思って、自分のいままで頑張ってきたことを母親に伝えた。
色々なことは言わなくてもいいから「頑張ったね」「いままでお疲れさま」と言ってほしいと告げた。
あの時、批判の後だったのに、努めて冷静に自分の気持ちを母親に伝えられたと思う。

それを聞いた母親は、私が求めていた言葉は何一つとして言わないどころか、
母親自身が辛かったこと、いわゆる自分の不幸自慢を話し始めた。
話しているうちに感情が動いて、怒られるし、わんわんと泣かれる。
ちょうどそこに父親が帰宅して、父親が話の矛先を向けられ、母親の痛烈な批判が続く。

…正直、その時、私はかつてないほどドン引きしてしまった。
興醒めと言った方が正しいのかもしれない。

こんな人が私の母親だと認めたくなくなってしまった。
なんのために頑張ってきたのか、私のいままでの人生とは一体なんだったのだろう…

頑張っても、褒めてもらえるわけでも、喜ばれるわけでもない。
どうしたって、批判される。欠点を見つけて何か言われる。

「ああ、もういい。」
「どこまでも期待するだけ無駄。」
……心底そう思った。

私が実家に帰りたくない、帰ろうともしないのはこういう出来事があったから。
「セックス=苦痛、悪」という方程式も面白いくらい強化されてしまった。

帰る場所も失ってしまった(と、今もまだ思っている)私は相手との関係がさらに悪化していく。
喧嘩ばかり起きた。相手の車の助手席に乗るのが苦痛で仕方なかった。
仕事も、プライベードも、見えている世界が、とにかく辛くて生きている心地がしなかった。

2年目のGW明け。仕事に行けなくなった。

仕事に行けれないようなレベルで体調不良に見舞われた。
全身気持ち悪くて、吐き気が止まらない。息も苦しい。
立つことが難しい。手の震え。足のしびれ。
昼過ぎになると少しずつ落ち着いて、夜は何事もなかったかのよう。
またその繰り返し。

上司に諭されて、1ヶ月休んだ。
精神科にも通って、抗うつ薬も処方された。

毎日、布団に横たわって、カーテンの隙間から見える光をただただ見ていた。
抗うつ薬を飲むのが怖くて仕方なかった。
最初の数錠は飲んで、でもそのまま飲み続けたら中毒になってしまいそうで、
自分の身勝手な判断で服用するのをやめた。

このまま、私は、こんな状態で、自分のやりたいこともできないまま死んでいくのか。
他人の気持ちばかりを伺って、自分の気持ちを殺して、ずっと生きていくのか。

そんなん、絶対に嫌だ。
このままじゃ、いけない。
絶対にこのままで死にたくない!

ようやく、ようやく。
…………ようやく決心がついた。

「そもそも私はうつ病なんかなんかじゃない」そこだけは譲れなかった。
こんなもの、飲まなくてもいい。そう思っていた。
(※これは個人的な考えなので、一般的には医師の診断に従ってください。)

どうにかしたい、その気持ちだけあって、
ネット検索でたどり着いて知ることになったのが立花武志さんのブログだった。
No Second Life
タイトルに、その通りだと思った。

読んでいく中「こんな世界、あるわけない」と思う自分と、
「いつか、こういう世界で生きていきたい」と思う自分がいた。

それは本当に決心だったのか?また引き戻される。

決心がついただけなのに、元気になってきた。
同棲を解消すべく、以前住みたいと思っていた1Kの部屋の内覧をした。
契約しますと仲介業者の担当者さんとお話を先にしていた。

事後報告となる形で、相手にそのことを告げると、
「自分が今の部屋を出ていく」「家賃はそのまま負担してもいい」
「私の体調を考えると環境を変えないほうが絶対にいい」
そんなことを立て続けに言われた。

確かに、とも思ってしまった。
元気になったのは、一時的なことかもしれない。
もし体調が悪かったら、その時は気づいてくれる人がいた方がいいかもしれない。
実家には絶対に頼りたくない、帰りたくない。

そう思って、担当者さんに断りとお詫びの電話を入れた。
つまりは、相手との同棲状態が継続することになった。

仕事へはなんとか復帰した。
怒られることも変わらなかったけれど、仕事自体は上司の考慮もあって
軽くしてもらえていたところもあり、普通にこなすことができていた。

…ただ、プライベートの状況は全く改善しなかった。

喧嘩も、相変わらずだった。
相手を困らせてやりたくて、散々家にあるものを投げたし、
真夜中に泣きわめいたり、自殺する素振りもしたりして取っ組み合いになった。
そうしないと自分の気持ちに収まりがつかなかった。

それでも、生きていかなければならなくて、食事も仕事もしないといけなかった。
買い物のために助手席に座るのも、相手の他の運転者への批判を聞くのも嫌で仕方なかった。
旅行に行ったこともあったけど、楽しい素振りをしてまるで楽しくなかった。
食べ物の味も、本当は良いものだったはずなのに、正直わからなかった。

夏には、初めてパニック発作を起こした。
朝、起きて、心臓がバクバクして、このまま死んでしまうのではないかと思った。
息もできなくなって、相手の背中に背負われて病院に行った。

久々に好きなアーティストのチケットを取ったことがあった。
またも恐怖心から、相手の分も自腹を切ってチケットを確保していた。
せめて少しでも楽しめればいいと思う気持ちもあったけれど、
ふとしたきっかけでまたも喧嘩になってしまった。

何を喧嘩したのか、私が泣きながら、
「自分のやりたいこと、思っていること、感じていること
全てを封印して、あなたに尽くせばそれでいいんですよね?!」
「それをしたらあなたは満足するんでしょう!封印して頑張ればいいんでょう!」
と叫んだこともあった。
相手から「チケットがもったいない」と言われ、
開演時間を過ぎてからようやく会場に向かった。

そんな、毎日だった。

以前付き合っていた先輩には、新しい彼女ができたという話を聞いた。
私から別れを告げていた罪悪感から、勝手に肩の荷を下ろしていた。
でも、もう、これで、戻れなくなった。その事実がとてつもなく重く感じた。

突然の同棲解消命令。

もうすぐ3年目となる頃。
「お前といても、俺に何のメリットもない。時間もお金も取られて消費するだけ。
 今からすぐに一人暮らしの部屋を探してここの契約も解消しろ。俺も実家に帰る。」
と、晩ごはんを食べた後、何を思ったのかいきなり言われた。

相手も、自分の人生を生きたいと思ったらしく、
どういうプロセスを経て結論を出したのかよくわからないけれども、
いきなり「医者になるために医学部を受験する」と言い出していた。

その勉強のために、数学の参考書を買って勉強し直していたのは私も知っていた。
知っていたけれど、最初の数ページの問題を解いたところで、
机に置きっぱなしになってしまっていることも、私はちゃんと見ていた。

「この人はいつまでも理想だけを抱えて死んでいくのだろうな」と思った。
「私は絶対に違う人間になるんだ」とも誓った。

何にせよ、相手から言われたのだから、堂々と一人暮らしのための準備ができる。
私には希望の光が見えたような気がした。

後輩との出会い。なぜか終わらない同棲生活。

3年目に入った。
新年度、人事異動もあって体制が変わる。
このタイミングで、とある新人の男の子が配属された。
彼は優秀で、対人関係を円滑に進められる能力があった。
私がやってきた仕事をそのままこれから引き継いでいける人材。
個人的にも話がしやすい人で、ああ、ありがたいなと思った。

以前お願いした仲介業者の担当者さんに連絡をして、
住もうと思っていた部屋が空いたら連絡をくださいとお願いしていた。
4月中頃にすぐ連絡をもらい、5月1日からの賃貸契約を交わした。

同棲していた部屋は5月31日までの契約。
引っ越しを少しずつ進めていたものの、
相手から「荷物が全部片付くまでは一緒に住む」と言われた。
寝耳に水。

結局、私が一人暮らしをする部屋にその人も住んでいた。
荷物がたくさんあって、部屋も汚くて、寝るだけの部屋だった。

7月の三連休。私のスタートライン。

幸いにも、後輩とのやりとりを通して、私は少しずつ元気になってきていた。
早く同棲を解消したかった。
でも、自分の中に変化を恐れる気持ちがあることも気づいていた。

7月に入った頃、意を決して相手に話題を振った。
「いい加減、いつ(ここから)出ていくんですか」

嫌な顔をされ、少し黙ったあと「7月の三連休に出ていく」と言われた。

学生時代の同期の結婚式二次会が三連休の初日にあって、
それに出かけて久々に楽しく過ごせた後から、
私はようやく、ようやく一人暮らしを取り戻した。

「相手がいなくなった」
「やっと、ひとりになった」
「もう誰も私に何かを言ってくる人はいなくなった」
「私は自由だ」

嬉しかった。
体調は、そのあとびっくりするくらい回復した。
毎日の重苦しい身体を感じることも、パニック発作に近いものも、減っていった。

その後、すぐに以前付き合っていた先輩へ連絡をした。
今思えば本当に迷惑な連絡だったのだろうと思うけれど、
その時は教えてもらわなければおかしくなりそうな自分がいたんだと思う。

「今の彼女さんのことをどう思っていますか」
「結婚したいという気持ちがありますか」
「先輩本人として子供が欲しいという希望はありますか」

最後の質問にだけ答えてもらえさえすれば良かった。
「子供が欲しい」という返答があれば、「私との将来はない」と判断できるから。
とにかく、ほんの少しの「復縁」という希望も絶ってしまいたかった。

私は、返信を読んで「ずっとひとりで生きて行こう」と決心した。

少しずつ、自分のやりたいことを叶えていく。

古川武士さんの「続ける習慣」を読んで、7月末からランニングを始めた。
家の周りを一周。できなければ、ウェアを着て外に出る。
後輩にも、習慣化を頑張ると宣言して、8月は1日も欠かさず走った。
本当に久しぶりに自分のやりたいことを成し遂げられたと感動した。

いままで、母親がベッドで寝ることを批判していた。
「場所を取るから」「片付けられないから」「あれのどこがいいんだ」
私も同じ考えでいた。正確に言うと、同化してしまっていた。

でも、欲しくなった。
無印良品が好きな私は、人気商品の脚付マットレスを買った。
椅子もテーブルも、いままでだったら絶対買わないようなものを買った。
ただ、嬉しかった。
自分で自分の欲求に素直になって、それを満たすことができる喜びがあった。

先述の古川武士さんのセミナーが10月に開催されると知って行きたくなった。
セミナーというもの自体が怖かった。
約10万円ものお金を使うのは怖かったけれど、自分を信じた。
行かなかったら絶対後悔するのだけはわかった。
私のセミナーデビューは古川さんになった。

行ってみて、いままでにない良い雰囲気を感じた。
内容も知らないことばかりでとても参考になった。
人ってまだまだたくさんいるんだ、知らない人がたくさんいることに気づいた。
私が生きてきた世界はなんて狭かったんだろう。
出会おうと思えば、出会える。友達を作りたかったら、出で行けばいい。
そういうことが体感として理解できた。
瞑想によって自分の中の気持ちを整えると、自分が落ち着いていられることも、
このセミナーで初めて体験することができた。

これが仕事の場面でも生かされて、少しずつだけれど、
何か嫌なことを言われても自分との距離を少し保てるようになっていった。

3年目の冬、一大決心。

自分が変わり始める感覚を自覚していた。根拠はなくても、V字回復していく確信があった。
でも、決定的な何かが足りない感覚もあって、もやもやしていた。
仕事は、今の職場で重要な業務を担当することになって、今度末での異動はないと言われていた。

立花武志さんのメルマガは毎日読んでいた。
いままで散々スルーしてきたツナゲルライフインテグレーション(TLI)講座の告知に、
突然スルーできなくなって、携帯の画面を見ながら固まっている自分がいた。

「これに今のタイミングでいかなかったらいつ行くの?」

どこからか声が聞こえてきて、私はその日に色々と感じていた不安点をメールした。
質問を打っているうちに決心がついたけれど、回答をいたただいてから申し込んだ。

4年目。変わっていく、私。

TLIを受講している途中で、後輩に「toteaさん変わりましたね」と言われる。
彼には色々なことを話せると思ったから、包み隠さず講座の話をした。
エニアグラムの話、ストレングスファインダーの話、投影の話…
彼は興味を持って話を聞いてくれ、それぞれの診断も受けてくれた。
お昼休みにいつも一緒にご飯を食べ、こういう話ができるのが本当に本当にありがたかった。

また彼は2年目として、新人の女の子への指導も熱心に取り組んでくれて頭が上がらなかった。

私が色々な話をしたことで、少なからず影響があったのか、
彼自身も本当にやりたいことに向けて勉強を始めたと教えてくれた。

仕事でも、相手とのクリアランスがとれるようになっていった。
自分の領域と相手の領域を考えられるようになって、辛いと思うことが激減した。
もし辛い気持ちになったとしても、TLIの仲間がいると思うととにかく心強かった。
本当に欲しかった、心のことを存分に語り合う仲間ができて嬉しくてたまらなかった。

手放したら、入ってくる。

そんなTLIを修了して、自分は同じ講座を受けている人のことが気になっていることに薄々気付いていた。
でも、もう、いままで散々書いてきた色々な過去の辛いことを繰り返したくない一心で、
またもや自分の気持ちをなかったことにしてしまっていた。
TLIで学んだにも関わらず、それが自分にとって当たり前すぎてやっていることに気づかなかった。

とある金曜日。
大学の部活の同期と会う機会があった。
付き合っていた大学の先輩が、お付き合いしていた彼女と結婚することを知った。
純粋に、おめでとうございます、と思った。その日は全然大丈夫だった。

翌々日、身体が重たくて悲しくなった。
そしてそれがどういう理由でそうなっているのががわかった。

そのときに書いたInstagram。書きながら泣いた。
私はずっと未練を抱えていた。本当はずっと寂しかったことに気付いた。

 

#roji #tsuchime #リング #指輪 . 自分の人生で、初めて、指輪を買いました。 . つける指にも意味があるらしい。左手小指。変化とチャンスの象徴。右手小指から入ってきた幸せが左手小指から逃げていかないようにする。 . 部活同期と出掛けた金曜の夜。4年半付き合った人から「今の彼女と入籍します」と突然LINEが届いた。同期はその1週間前に本人と会っていて、そこで既に話を聞いていたらしい。 . 別れたのは私の我儘だった。不器用だけど、とても優しくて、私はその人と居たらとても自然体でいられた。でも、自然体で居られ過ぎた。その後、別の人と付き合った。全然上手くいかなった。一緒に「いなきゃいけない」「いないと怒られる」、そこまで思って、別れられなかった。仕事のストレスと相まって、体調を崩した。「なんで私は彼と別れたんだろう、馬鹿だ、馬鹿すぎる」という言葉が浮かんでくる度に「いや、今の人に何かを感じたから別れたんだ」と呪文のように言い聞かせていた。結果、精神が病んでいった。 . 彼とは、私の我儘がなければ、きっと結婚していた、と思う。結婚の話も自然に出ていた。「婚約指輪は興味ないし、いらないから、その代わりScanSnapが欲しい」なんて、そんな話もしていた。 . 今も、もし誰かと結婚するとしても、婚約指輪は要らないと思う。でも、結婚指輪は欲しい、そんな自分に気づいた。 . 彼と付き合っていた頃も「アクセサリーは要らない」と言っていたけど、今思えば、それは恥ずかしさと強がりだった。当時の親友が、幸せそうに彼氏とペアリングをつけていたのを見て、本当は羨ましかった。でも、私はそれをつけることで、自分が「女性であること」を突きつけられるような気がして、その事実を受け止め切れないと思って、本当の気持ちに蓋をして、強がった。ただの、思い込みだった。そもそもペアに男女も何もない。そんな事に、今になって、本当に今更ながら気付いて、私はまたも「馬鹿だ」と思った。でも、そんな自分に気付けて、ホッとして、少し笑った。 . 私は、本当は、お揃いで指輪をつけてみたかった。彼の手と指、爪の形、全てが好きだった。 . あの時、もしそう言えていたなら、きっと困ったような顔をしながらも、頷いてくれただろう。 . でも、それは、もう叶わない。 . 彼とのお揃いは、もう、叶わないけれど、これからの自分自身のために、指輪を買うことなら、今の自分にもできる。 やれることを、後悔しないように、やりたい。自分の気持ちに素直になっていい。私は私。他の人は関係ない。 . 一時期、復縁したい、と、そんな執着をしてしまうくらい、自分の考え方が歪んでいた。事情を良く知る人に「さすがにそれはずるい」とお願いしてわざわざ批判してもらったこともあった。けれど、今は違う。 彼には、幸せになって欲しいと心から思う。私では与えられなかった幸せを、感じて欲しいと思う。そして、あの4年半、貴重な学生時代に関わりを持てたことに、感謝してもしきれない。それに、永遠に会えなくなったわけでもない。部活の先輩後輩の関係はこれからも続く。 . 私は私らしく。 どんな性別でもいい。 どんな格好をしてもいい。 どんな生き方でもいい。 それが、「私」であるならば。 . 私は、私を見つける。 変化と、チャンス。 そんな気持ちで、今週末を迎えたい。 . #X100F #FUJIFILM #カメラ初心者 #どうしようもない恋の話 #言わなきゃ伝わらない #こんなことここに書くことじゃない #とは思うけど #そんな自分でもいい #厨二病でもいい

toteaさん(@t0tea)がシェアした投稿 –

この投稿は、気になっている彼も読んでいてくれて、
私のFacebook上の別の投稿に対してコメントをしてくれたときに、
その彼のあたたかさに触れて、今度こそ大泣きしてしまった。

「泣きたい時は泣いて、後悔したい時は後悔して、そうやってちょっとずつ
進んでいったらいいと思う。これからどんどん幸せな記憶を作っていったらいい。俺も。」

そんなやりとりの少し後、彼とはお付き合いを始めることになった。
「後先考えずに付き合うのが怖い」
そんな恐怖に震えていたけれど、そんなことは本当はどうでもよくって、
彼がしてくれたコメントのような人生を一緒に歩んで行きたいと願っていたのだと思う。

仕事も、無事自分の果たすべき役割を無事に終えた。
自分自身の気持ちもかなり落ち着いていられるようになった。
視野を広くもって、周りの状況を見ることが以前よりもできるようになった。

4年目の1年はとてもたくさんの方と知り合うことができて、会いたいと思う人が増えた。
心のことも向き合いたいと思って、継続してセッションも受けられた。
デザインのことをやっていきたいと言っていたら、デザイナーさんにも出逢えた。
デザインの依頼もいただくようになった。

今年度は繰り越していた有休も、今年度付与された有休も完全に使いきって、
やりたいことも、仕事もやりきれた一年だったと思う。
振り返れば、もっとやれたかなと思うことはあるけれど、これが今の実力だし、
私は私なりに精一杯で生きてこれたという風にも思う。

そして、職場の異動。

この1年間、仕事で毎日毎日、とある方々と密接な関わり合いがあった。
その方々7人から合同で餞別としてお菓子をいただいた。
のし付のちゃんとした形で貰うのは人生で初めてで、本当にびっくりした。

なんでこんなに驚いているかと言うと、
その方々が私よりも前の担当者にプレゼントしているのを見たことがないから。
本当に気持ちあっての行動だと思うと、感動した。
よく思っていただけていたことがこうやって形になっているんだなあ、と。

他にもたくさんの方々から嬉しいお言葉やプレゼントをいただいた。
「めちゃくちゃお世話になりました」
「仕事、助かったよ」
「詳しく教えてくれて嬉しかった」
「くれぐれも体調だけは気をつけてね」
「頑張りすぎるからほどほどくらいでtoteaさんの場合はちょうどいいよ」

後輩の女の子なんか、感極まってガチ泣きしてハグまでしてくれた。

色々な方々が自分のことを実は見ていてくれた。何らかの役には立っていた。
そんなことが現実として私の目の前に現れてきて本当にありがたいなと思った。

1年目の自分からしたら、こんな4年後が待っているなんて全く想像できなかった。

むしろ、先輩と結婚して、望んでいないけれど子供を産んで、
母になることに怯えながら、職場環境にもストレスに感じて、
ずっと「本当はこうじゃない」と思う人生を歩み続けている……
そんな未来を、なんとなく想像してしまっていた。

でも、体調を崩して、決心がついて、それでも諦めずに思いつづけたからこそ、
本当の人生を歩み始めることができたんだと思う。

ここにある幸せと、これから。

まだまだ、親のことは自分の中でクリアになっていないし、
デザインのことももっと勉強していきたいし、
来年度からの仕事も不安に思う気持ちもやっぱりどこかにはあるし、
まだまだ課題となるものはたくさんある。

あるけれど、それでも、今までの出来事はすべて必然的に起こっているのだろうし、
これから起こっていくことも必然であって、それをちゃんと受け止めて生きていければいいんだと思う。
でも、受け止めきれないこともあってもいい。

ここまで、自分の中では色々あったけれど、
それでもこうやって、振り返られるところまできた自分によしよしってしたい。
こんなに書くと思わなかったし、かなりのカミングアウトだけれど、それでもいい。

今、こうしてタイピングしている目の前に彼がいて、
くだらないことでも笑いあえる関係があって、
大切な仲間の皆に私の存在を認めてもらって、
自分のやりたいことをやっていこうとできる環境があることに、ただただ幸せを感じます。

ありがとう。

何時間かかったんだろう。

ということで、1万字を超えたところで、この長い長い振り返りを終わる。
日の当たる場所に晒して、いままでの4年間が良い形で昇華しますように。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。