「父」の愛について思うこと。家族のこと。私の、これからすべきこと。

昨日、父からメールが届いた。
内容は特別な何かの連絡というわけではなくて、雛祭りを揃えるのが大変だから掛け軸を買った、という内容。

昨日の時点では、iPhoneに届いた通知だけ確認して、内容まで確認することはなかった。

体調不良。気分が落ち込むときに聞くのは決まってカーペンターズ。

今日の朝は、いつもなら6時前に起きるのに、まったく起きれる気がしなかった。
傍で朝ごはんを食べる彼をなかなか開かない目で見て、そのまま、また横になった。

8時を過ぎようとしているのに、全く起きられない。
体が硬直して、苦しい。
私が一番体調を崩していた、2015年の夏のような状態だった。
電話をかけるのすら、全くできると思えなかった。
信頼している後輩にメールだけ打って、そのまま布団に横たわっていた。

気分が落ち込む。

一緒に住んでいる彼は、その辺の変化に対してとても敏感でよく気づくと言うのだけれど、
私はどちらかと言うと普段の生活であまり自覚することもないなと最近気づいた。
だから、おそらく鈍感な方なのだと思う。

でも、今日はしんどかった。
さすがにそれが自分でわかった。
しんどくて、なにか、落ち着きたくて、音楽を聴こうと思った。

こういうときに浮かぶのは、決まってカーペンターズ。
正直、カーペンターズ以外の選択肢が浮かばない。

私の中に、「カーペンターズ=父」という公式がある。

小さい頃、よく父の車の中でかかっていた。
歌詞こそわからなかったけれど、きっと心地よく思っていたのだと思う。

神社仏閣の興味が強い父は、信仰深く、地元のお寺と神社へのお参りを欠かさない。
私はそのお参りによく同行していた。
当時の私は、単純に「お父さんと出かけるとさわやかのハンバーグが食べられる」とか、
「車で出かけられるのが楽しい」とかそんな理由で一緒に行っていただけなのだけど。

そんな外出の帰り道。
西日が射して暖かくなった車内、
お腹いっぱいで眠たくなってウトウトしだした頃。
そんなときは、だいたいいつもカーペンターズがかかっていた。

でも、今、そんな幼い頃の記憶を思い出してみると、
あの時間は私にとっては、とても安心できる場だったと思える。

だから、今の私もその感覚だけはどこかに覚えていて、
しんどくなると、カーペンターズを聴く。
聴くと、安心する。そして、間違いなく、父親の存在をそこに感じるのだ。

父からのメールに感じる「愛」

内容は冒頭に書いた通りで、特別なことは書かれていない。
あとは、添付ファイルの画像。

元気ですか?お父さんは、色々と云うことが出て来ていますが、相変わらずの年金生活を送っています。
さて、ひな祭りで雛人形を飾りつけるのが大変と云うことで、立ち雛の掛軸を買いました。先日、床間に飾り、桃の花をあげました。インフルエンザなどに注意して過ごしてください。

でも、その写真とメールを眺めていたら涙が出てきた。

実家にいた頃、毎年フルサイズの雛人形とケース入り人形が5つが飾られていた。
(本記事のアイキャッチ画像がまさにそう。これは父が1991年のひなまつりに撮影したもの。)
2月の建国記念日を迎えると毎年父と一緒に飾り付けていた。

そんな過去の思い出も蘇ってきて、
「ああ、私はお父さんから愛されているんだ」
そう言葉が浮かんだ。

しばらく、涙が止まらなかった。

父親からの手紙だって、どうしても捨てられない。
私が名古屋で一人暮らしを始めてから届いたものはすべてとってある。

それは愛を感じていたからだということも、この前気づいたばかりで、
改めて、今日メールを読んで、父の愛が確かにあることを体感した。

お給料をもらってくることが愛だった、父の世代。

私の父は、昭和18年の戦中生まれ。
今年はもう、後期高齢者。75歳になる。

父の父、私から見て祖父は戦死している。
母の手ひとつで育てられ、当時の時代からするとびっくりするが、大学も卒業している。
地方公務員として定年まで勤め上げ、今はメールの通り年金で生活中。

以前、父と子育てについて、話をしたことがあった。
(私には兄が3人いて、3人とも私より一回り以上年上。今は全員40歳を超えている。)

「仕事をちゃんとやってくること、お給料を止めることなく入れることに必死で、
 自分の子供がどういう風に育っていくのかを見守る余裕が全くなかった」
「自分は父親の存在がわからない、だから父親としてどう振る舞うのが良いのかわからなかった」

そんなことを言っていた。

これについては、私が受講していたTLI講座を主催している大塚あやこさんが記事にしていて、
まさしく私の父はこの記事に書かれている通りなのだろう、と思っている。

でも、私に対しての捉え方は特別だった。

父は、その話の中でこうも言っていた。

「自分が精神的にも経済的にも余裕が出てきた頃に生まれて、しかも女の子だったから
とにかく毎日姿を見るのが、成長を見るのが、楽しみで仕方なかった」

それが、父の中での、兄達と私との決定的な違い。

実際、私には、私を被写体とした膨大な量の紙焼き写真がある。
生まれたばかりの頃から、自分がどんな風に育ってきたのか、
手に取るようにわかってしまうだけの量。

今、私は3年前に実家へ帰ったのが最後で、
父からのメールも全く返信していない状態にあるけれど、
それでも、父は変わらず私に季節ごとにメールを送ってくる。

そんな行動が取れるのは、
やっぱり私を「愛している」からこそなのだと思う。
私だったら、父と同じことができるかわからない…とすら思える。

そんな父の「愛」を受け取れない理由。家族との関係。

昨年秋から、みうら雪絵さんに継続的にセッションをお願いしている。
そこで毎回のように根本の原因はここだね、と認識する存在。

……やはり「母」の存在が、理由のひとつなんだろうと思う。

「母」の存在が、今の私ですらまだまだ脅威なのだ。
「母」のことを立てるならば、必然的に「父」を悪者しなければならない。
「父」と関わることは、「母」と関わってしまうことになる。

私はまだ、「母」が怖い。
だから、「父」の背後に「母」が見えてしまって身動きがとれない。
完全に安心できる状況が確保されるのであれば、今すぐにでも「父」に会えると思っている。

そして、今日、涙を流して思ったのは「兄達」の存在。

「私ばっかり(父からの愛を)もらってしまっていいのか」
「もっと(お兄ちゃん達にも)わけてくれればいいのに」
「私ばっかり良い思いをしてはいけない」

そんな言葉が頭を駆け巡る。

実際、兄全員が父と仲が良くない。
かろうじて直接話ができる兄もいれば、全く口をきかない兄もいる。

家族って、実家って、何なんだろう。

私の中では、とにかく、実家・家族というものは居心地が悪く、
常に誰かしらの機嫌を伺う必要に迫られていた。
機嫌が悪ければ、私はその誰かと誰かの仲介役をしていた。

実家に帰省してしまうと、その頃の自分に戻ってしまう。
自分の力では、どうしようもできない家族のいざこざを痛感してしまう。
今の私が私自身の「安全」を選択するということは、
実家には一切帰らない、家族とも連絡を取らないということと同義になる。

でも、いつまでもそうして過ごすことが「違っている」ことにも気づいている。
いつかは「この家族でよかった」と思える瞬間を体感したい自分がいる。

だから、私は4月に岡部明美さん(通称あけみちゃん)の開催する、
「秩父ワークショップ」に申し込んだのだと思う。

そこで、私は私の家族と向き合う。