日々に「余白」を置く。それも、意識的に。

最近、大切だと思っているものがあります。
それは「余白」。

余白、というと、
色々なものが想像できるけれど、

私の場合で言えば、
デザインするとき、
写真を撮るとき。

そんな時に「余白」の存在を意識します。


でも、それだけじゃなくて、
日々の生活における「余白」が
とても大切なのではないかと最近思います。

なんでも詰め込めばいいってわけでもない。

デザインの勉強中の身でいる私が、
偉そうなことを言える立場ではないのだけど……
小さい頃から余白は意味があると思っていました。

「ただ余ってる」わけではなくて、
文字や図形と同じ要素として、余白が存在する。

意図的に、意識的に存在するもの。
そんな風に思っています。

余白があるから、
情報にまとまりが生まれて、整理される。

余白が文字を、文字が余白を引き立たせる。

詰め込みすぎたら、
どこからどこまでがひとまとまりなのか、
要素と要素の関係性はどうなっているのか、
わからなくなるだけじゃなくて、
眺めた時に息苦しさを覚えてしまう。

これは、デザインや写真に限らず、
毎日ついても同じことが言えると思います。

ほっとする瞬間、
何もしないひととき、
ぼーっとする時間。

もっといくと、予定がまっさらの日。

意識しないと、予定が埋まってしまいます。
(埋まっていくのか、はたまた埋めていくのか……)

あれもこれも、それも、やらなきゃ。
“HAVE TO”が増えていきます。
(塵も積もれば山となる……)

ガラガラと音を立てて崩れていくときには、
心身ともに疲れてしまっていると思うのです。

だから、日々にも「余白」を置こう。

以前、収納に関するお話で、
本棚を詰め詰めにしてしまうことに対して
アドバイザーの方がこんなことを言われていました。

「まだ入れられる空いているところ」ではなく、
「スペース」というものが置かれている。

本棚の容量が100%、
本が80%入っているとしたら、
まだ入るところが20%あるのではなくて、
「スペース」というものが20%置かれていて、
合わせると100%になっていると考えてください。

この話を聞いた時は衝撃を受けました。
デザインのことでは意識していたものの、
収納の世界でも同じことが言えるんだな、と。

そう思うと、日々の暮らしの中でも、
「余白」をしっかり置きたくなりました。

「予定がゼロ」という、
「余白」の日を置く。

ぽっかり空いたその日があるから、
生活に緩急ができて、効率も良くなる。

動くために、止まる。
止まるために、動く。
そんな相互関係が生まれる。

最近は、そんなことを意識していて、
「予定がない日」ではなく、
「”まっさらな1日”という予定がある日」を
ちゃんと確保するようにしています。